平野 零児
百まで踊る下中翁
下中翁が忽然と逝かれたのは何とも傷心の限りである。亡くなられる恰度一月前、麹町の「山の茶屋」で、翁の御馳走になったばかりである。中野好夫、深尾須磨子、松山幸逸、岡田政一、大西雅雄さん達、下中翁を囲む同郷の極く小部分のグループの、いはば[#「いはば」はママ]恒例のような会だった。その前はクラブ関東で、立抗村の名誉村長になられた時の、披露ともいうべき会だった。その時は「これからは陶工弥三郎となって余生を送る」といわれていた。
私はその時羨ましく思った。私には東洋的な、年をとったら、静かに読書したり、絵や字をかいたりして、陶淵明的な隠とん生活をして、呑気に暮したいという気持が強いからである。しかし私にはそんな余裕がない。いくら年をとっても、死ぬまで売文で生きて行くより手がないからである。
しかしその時窃かに私は思った。「このお爺いさん、果して陶工弥三郎で納まれるかな」と思った。
果して亡くなるその夜の二時間前まで、クラブ関東で、「世界平和」の会を主催して、その席で諸名士を前に、平和促進の言葉を述べられた。そしてケネデイ米新大統領に出された、世界平和に対する要望書に対する、大統領の賛意を表した返信を恰も、その日に受取られたということである。全く、雀百まで踊り忘れぬ翁だった。果して陶工弥三郎なんぞで納まれる人ではなかったのだ。