佐々木 味津三
右門捕物帖
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――今回はその五番てがらです。
事の起こりましたのは山王権現、俗に山王さんといわれているあのお祭りのさいちゅうでした。
ご存じのごとく、山王さんのお祭りは、江戸三社祭りと称せられている年中行事のうちの一つで、すなわち深川八幡の八月十五日、神田明神の九月十五日、それから六月十五日のこの山王祭りを合わせて、今もなお三社祭りと称しておりますが、中でも山王権現は江戸っ子たちの産土神ということになっていたものでしたから、いちばん評判でもあり、またいちばん力こぶも入れたお祭りでした。しかし、当時はまだ今の赤坂溜池ではないので、あそこへ移ったのは、この事件の起きたときより約二十年後の承応三年ですから、このときはまだもと山王、すなわち半蔵門外の貝塚に鎮座ましましていたのですが、時代は徳川お三代の名君家光公のご時世であり、島原以来の切支丹宗徒も、長いこと気にかかっていた豊臣の残党も、すでにご紹介したごとく、わがむっつり右門によってほとんど根絶やしにされ、このうえは高砂のうら舟に帆をあげて、四海波おだやかな葵の御代を無事泰平に送ればいいという世の中でしたから、その前景気のすばらしいことすばらしいこと、お祭り好きの江戸っ子たちはいずれも質を八において、威勢のいい兄哥なぞは、そろいのちりめんゆかたをこしらえるために、まちがえて女房を七つ屋へもっていくという騒ぎ――。