伊藤 野枝
内気な娘とお転婆娘
『女はしとやかでなくてはいけない、をとなしくなくてはいけない』と云ふ訓しへは甚だ結構な事です。一時『新らしい女』と云ふものが盛んにはやつた時には、大変なお転婆がいろんな奇抜な真似をして人目をおどろかしました。しかし、どんな勝手な真似をしても気持の上に、或るデリカシイを持つてゐなければならないと云ふ事は、其の当時そのお転婆の一人であつた私すら痛切に感じた程でした。私達は『新らしい女』の本家本元のやうに云はれてゐましたけれど、其の頃世間に輩出した所謂新らしい女の思ひ切つた行為には驚異の眼を見はつたものです。それは本当に馬鹿々々しい、苦々しい事を沢山見せられたり聞かせられたりしました。そして、さう云ふ人達の行為が皆んな私達のした事として、見当違ひな非難攻撃を皆んな受けなければならなかつたと云ふやうな苦い経験は、いよ/\私達に、エセ新らしがり屋を浅間しがらせたのです。
あの当時問題になつた吉原行きとか五色の酒とか云ふ事を、まるで私達のすべてゞあるかのやうに云ひなした世間の馬鹿共よりは、それをまた麗々と真似をする連中に至つてはお話にもなんにもなりません。何の考へもないたゞの模倣と云ふことが、それ程馬鹿らしく見えた事はありません。
処がまた私は、本場の女性のデリカシイと云ふ事が其の意味を取りちがへられて、無暗と恥かしがりの模倣をする事が、旧い考へで奨励されてゐるのをも同様に馬鹿々々しいと思はずにはゐられません。
よく見もし、聞きもしますが、活動写真の中とか電車の中などで、をとなしくとりすまして、はづかしがつてゐる女の弱味につけ込んで、飛んでもない不都合を働く男があります。少し確つかりしてゐ