木暮 理太郎
尾瀬雑談
尾瀬の記事は既に書き尽されてあるから、この上の剰筆は真に蛇足であるに過ぎないが、敢て二、三の見聞をここに載せることにした。尤も雑談に花を咲かせる程の興味あるものでないことは予め御承知を願いたい。
尾瀬沼は『正保図』には「さかひ沼」となっていて、尾瀬とも小瀬とも記してないことは、曾て『山岳』十六年三号に書いた通りである。然るに寛文六年の序ある『会津風土記』には、
只見川(源出会津小瀬沼、北流過山間数十里、東転至田子倉村、云々。)
とあり、安永三年の序ある『上野国志』には、
木暮 理太郎
尾瀬の記事は既に書き尽されてあるから、この上の剰筆は真に蛇足であるに過ぎないが、敢て二、三の見聞をここに載せることにした。尤も雑談に花を咲かせる程の興味あるものでないことは予め御承知を願いたい。
尾瀬沼は『正保図』には「さかひ沼」となっていて、尾瀬とも小瀬とも記してないことは、曾て『山岳』十六年三号に書いた通りである。然るに寛文六年の序ある『会津風土記』には、
只見川(源出会津小瀬沼、北流過山間数十里、東転至田子倉村、云々。)
とあり、安永三年の序ある『上野国志』には、