永井 荷風
勲章
寄席、芝居。何に限らず興行物の楽屋には舞台へ出る藝人や、舞台の裏で働いてゐる人達を目あてにしてそれよりも亦更に果敢い渡世をしてゐるものが大勢出入をしてゐる。
わたくしが日頃行き馴れた浅草公園六区の曲角に立つてゐた彼のオペラ館の楽屋で、名も知らなければ、何処から来るともわからない丼飯屋の爺さんが、その達者であつた時の最後の面影を写真にうつしてやつた事があつた。
爺さんはその時、写真なんてヱものは一度もとつて見たことがねえんだヨと、大層よろこんで、日頃の無愛想には似ず、幾度となく有りがたうを繰返したのであつたが、それが其人の一生涯の恐らく最終の感激であつた。写真の焼付ができ上つた時には、爺さんは人知れず何処かで死んでゐたらしかつた。楽屋の人達はその事すら、わたくしに質問されて、初て気がついたらしく思はれたくらいであつた。
その日わたくしはどういふ訳で、わざ/\カメラを提げて公園のレヴユー小屋なんぞへ出掛けたのか。それはその頃三の輪辺の或寺に残つてゐた墓碣の中で、寺が引払ひにならない中に、是非とも撮影して置きたいと思つてゐたものがあつた為で。わたくしは其仕事をすましてからの帰途、ぶら/\公園を通過ぎて、ふと池の縁に立つてゐるオペラ館の楽屋口へ這入つて見たのだ。