新美 南吉

耳

一

ある晩、久助君は風呂にはいっていた。晩といっても、田舎で風呂にはいるのは暗くなってからである。風呂といっても、田舎の風呂は、五右エ門風呂という、ひとりしかはいれない桶のような風呂である。

久助君は、つまらなそうに、じゃばじゃばと音をさせてはいっていた。風呂の中でハモニカをふくことと、歌をうたうことは、このあいだお父さんから、かたく禁じられてしまったのである。「風呂の中でハモニカをふいたり、鼻歌をうたったりするようなもんは、きっとうちの屋台骨をまげるようになる」とお父さんはいった。久助君は、加平君ところの牛小屋が、いぜん、だんだん傾いてきて、壁がかえるの腹のように外側にふくれ、とうとうある日つぶれてしまったのをよく知っていたので、自分の家があんなふうになるのはかなわないと思って、ハモニカも歌もやめてしまったのであった。

ハモニカと歌をとりあげられてしまうと、風呂は、久助君にとって、おもしろくないことであった。何もすることがなかったのだ。

青空文庫の作品カード