室生 犀星

玉章

故郷にて保則様、十一月二十三日の御他界から百日の間、都に通じる松並木の道を毎夜参りますうちに、冬は過ぎ春がおとずれ、いまでは、もう、松の花の気はいがするようになりました。御身さまも、なぜ、わたくしがかくも寥しい松並木の道をおとずれるかについて、きっと、奇異な思いを抱かせられることと思いますが、それをあからさまに申し上げれば、ただ紀介様にお目もじしたいばかりの夜歩きに違いないと申す外はございません。お亡くなりになられた方にお目にかかるということは変な言葉のようにきこえますけれどそれは何時も都からお越しの折に、あれらの松並木の道をおとおりになっていたということだけで、わたくしには生きた思いがいたして来るのでございます。かつての紀介様のお踏みになった土地や、お目にとまった松並木の松の木や、土手や、小さい丘や、涼しい蔭なぞには、過ぎた日の紀介様のお眼がありありとみひらかれて映ってまいります。あそこまで参れば、わたくしの耳は紀介様のお声をきくことが出来まするし、ご機嫌好かった日のお笑いごえを耳に入れることもできます。わたくしの耳は松並木にまいれば、ひとりでに赧らみ、しずかに物声にきき入ろうとする用意をするようになりました。たんに耳ばかりではございません、わたくしの五体があそこではそれぞれの記憶のなかに、手は手、胸は胸、脇の下までが別々の感じをもとめ、そして別々の思いに耽ってゆくのでございます。ことさらに胸にのこった紀介様のおからだの重みも御身様の前で申し上げるのも何となく気が負けるような気になりますけれど、人の美しいちからはどのようにしても、滅びきらないものに思われます。かつて紀介様はい

青空文庫の作品カード