坂口 安吾
篠笹の陰の顔
神田のアテネ・フランセという所で仏蘭西語を習っているとき、十年以上昔であるが、高木という語学の達者な男を知った。
同じ組に詩人の菱山修三がいて、これは間もなく横浜税関の検閲係になって仏蘭西語を日々の友にしていたが、同じ語学が達者なのでも高木は又別で、秀才達が文法をねじふせたり、習慣の相違や単語を一々克明に退治して苦闘のあとをとどめているのに、高木にはその障壁がなくて、子供が母国語を身につけるような自在さがあった。
高木と私は殊のほか仲良くなって、哲学の先生に頼んで特別の講読をしてもらったり、色々の本を一緒に読んだ。
私は二十三、四であった。そのころは左翼運動の旺んな頃で、高木と私が歩いていると、頻りに訊問を受けた。ニコライ堂を背にして何遍となく警官と口論した鮮明な思い出もあり、公園の中や神楽坂やお濠端等々。けれども忘れることのできないのは、四谷見付から信濃町へ御所の裏門を通る道で訊問を受けたことであった。