谷崎 潤一郎

卍

その一

先生、わたし今日はすっかり聞いてもらうつもりで伺いましたのんですけど、折角お仕事中のとこかまいませんですやろか? それはそれは詳しいに申し上げますと実に長いのんで、ほんまにわたし、せめてもう少し自由に筆動きましたら、自分でこの事何から何まで書き留めて、小説のような風にまとめて、先生に見てもらおうか思たりしましたのんですが、……実はこないだ中ひょっと書き出して見ましたのんですが、何しろ事件があんまりこんがらがってて、どういう風に何処から筆着けてええやら、とてもわたしなんぞには見当つけしません。そんでやっぱり先生にでも聞いてもらうより仕様ない思いましてお邪魔に出ましたのんですけど、でも先生わたしのために大事な時間滅茶々々にしられておしまいになって、えらい御迷惑でございますやろなあ。ほんまに宜しございますか? わたし先生にはもう毎度々々おやさしいにしていただきますもんですから、つい御親切に甘える気イになって、御厄介にばっかりなりまして、どないに感謝してもしきれへんくらいや思てます。そいであのう、いつかも大へん御心配かけましたあの人のこと、あれからお話せんならんのんですが、あれはあの後に申し上げました通り、あないにいうて下さいましたのんで、自分でもしみじみ考えまして、あんなりぷっつり絶交してしまいました。その当座は未練とでもいいますのんか、何かにつけて思い出されますもんですから、家にいてましてもまるでヒステリーのようになってましたけど、そのうちにだんだんあの人がええことない男やったいうことはっきり分って来まして、……主人も私が前は始終そわそわして音楽会や何かいうては出歩いてばっ

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