斎藤 茂吉

妻

妻はやはり Sexus Sequior と見立てなければつまりは満足は出来まい。そういうことを考えずに済む亭主は、温良で小さく美しくて京人形のような妻を有っているものに相違ないとおもう。

女を甘やかす今の欧羅巴の※[#下側の右ダブル引用符、U+201E、92-5]Dame“社会状態は、全亜細亜人からも、それから古代希臘、古代羅馬の人々からも嘲笑されるに極まっているといったショペンハウエルは、果してそういう京人形のような妻をば有っていなかった。それであるからショペンハウエルは、若くして恋慕の息吹をかけられなかったと同時に、年老いても罪深い女人どもの懺悔を聞いてやらねばならぬ加特力の坊主の役をつとめなくとも好かったのである。

そのショペンハウエルは、女というものは足の短い肩の狭い臀ばかり大きいものだといった。これは欧羅巴の女を罵った言葉なのである。

僕は西暦一九二四年の初秋から、鼻の低い足の短い妻を連れて欧羅巴の大都市を歩いていた。ショペンハウエルが、満身の力をこめて罵倒した欧羅巴の女どもといえども、どうしても僕の妻よりも器量が好い。けれどもそれを逆にいえば、僕は黄顔細鼻の男に過ぎぬ。これを当年のショペンハウエルに較べるなら、所詮僕は不器量に相違ないゆえに、諦念して二人は一しょに歩いていた。

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