伊藤 野枝

平塚明子論

最近の我国婦人解放運動の第一人者として常に注目されつゝあるらいてう平塚明氏に就いて、これ迄公にされたものは可なり多い、或は氏の事業に就いて、或はその私生活について思想について人となりについて。併しながら其の数多いものがどの程度まで氏を知るよすがとなる事が出来たかと云ふに、それは、多くがその表はれた一面の事実によつたり、或はいゝ加減な揣摩臆測によるもの、或は単なる反感から書かれたものが大部分である、それでなくとも部分的な無責任に近いものであつたが為めに何の効果をも齎らしはしなかつたものとしか思へない。

私は学校を出た許りの十八歳の秋から三四年の間ずつと氏の周囲にあつた、氏に導かれ教へられて来た、私が今日多少とも物を観、一と通り物の道理を考へる事が出来るやうになつたのも氏に負ふ処が少くない。私にとつては氏は忘れる事の出来ない先輩でもあり、また情に厚い友人でもある。そして氏の傍にゐた間、可なり氏は氏の生活を打ち開いて見せられた。それだけにまた氏の真実にも接し得たと信ずる。私は、ずつと前から氏に対する理解なき言論を見る度びに残念に思つた。或る時は自分の事のやうに口惜しさに歯をくひしばつた事さへある。何時か一度は自分で書いて見たいと思つた。しかし、それは私には大仕事であつた。うかとは出来ない事であつた。そして私は私の更に必要な仕事が何時でもあつた。二年程前あたりから、いろ/\な事情がだん/\に二人を遠くした。それにも、私は多くの責を自分に感じてゐながらどうする事も出来なかつた。さうして二人の実際の上の交りが隔つて来ると同じやうに思想の上にも稍はつきりと相異を見出すやうになつた。殊に最近の

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