正岡 子規
俳諧大要
ここに花山といへる盲目の俳士あり。望一の流れを汲むとにはあらでただ発句をなん詠み出でける。やうやうにこのわざを試みてより半年に足らぬほどに、その声鏗鏘として聞く者耳を欹つ。一夜我が仮住居をおとづれて共に虫の音を愛づるついでに、我も発句といふものを詠まんとはすれどたよるべきすぢもなし、君わがために心得となるべきくだりくだりを書きてんやとせつに請ふ。答へて、君が言好し、昔は目なしどち目なしどち後について来ませとか聞きぬ、われさるひじりを学ぶとはなけれど覚えたる限りはひが言まじりに伝へん、なかなかに耳にもつぱらなるこそ正覚のたよりなるべけれ、いざいざと筆をはしらし僅かにその綱目ばかりを挙げてこれを松風会諸子にいたす。諸子幸ひにこれを花山子に伝へてよ。
第一 俳句の標準
一、俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。文学の標準は俳句の標準なり。即ち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。一、美は比較的なり、絶対的に非ず。故に一首の詩、一幅の画を取て美不美を言ふべからず。もしこれを言ふ時は胸裡に記憶したる幾多の詩画を取て暗々に比較して言ふのみ。一、美の標準は各個の感情に存す。各個の感情は各個別なり。故に美の標準もまた各個別なり。また同一の人にして時に従つて感情相異なるあり。故に同一の人また時に従つて美の標準を異にす。一、美の標準を以て各個の感情に存すとせば、先天的に存在する美の標準なるものあるなし。もし先天的に存在する美の標準(あるいは正鵠を得たる美の標準)ありとするも、その標準の如何は知るべからず。従つて各個の標準と如何の同異あ