谷崎 潤一郎
泉先生と私
私事にわたることを云ふのは寔に恐縮であるが、泉先生は文壇に於ける大先輩であるのみならず、此の春私の娘が結婚するときに媒酌の労を取つて下すつたので、さう云ふ私交上でも一方ならぬ御厄介になつた。式の当日、先生が奥さんとお二人で並んで椅子に腰かけてをられた紋服のお姿が、今の私には最も感銘の深い、忘れられない面影として記憶されてゐる。
聞けば先生は、あのお年だつたけれども、仲人をなさるのはあの時が初めてだつたさうで、前からたいそう楽しみにしてをられたとか。お願ひする方では、ほんの形式に、お名前だけを拝借するくらゐなつもりであつたが、御本人の意気ごみはなか/\さうでなく、結納の取り交しから式の当日まで、ずゐぶん世話を焼いて下すつたし、娘のことも親身になつて案じて下すつた。久保田万太郎君の話だと、先生としても奥さんとお揃ひであゝ云ふ席へ出られたことは、先生一代のうちであの時が最初の最後であつたらうと云ふ。あの時、来賓総代として両家の万歳を唱へて下すつた戸川秋骨先生が、あれから間もなく逝去されたかと思ふと、今また先生の訃音に接するとは、まことに人事※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)忙の感が深い。
私が始めて先生にお目にかゝつたのは、たしか明治四十四年の正月、読売新聞の主催で、紅葉館に都下藝術家の新年宴会があつた、その席上に於いてであつたが、さいはひ私は当時のことを、「青春物語」の中に書いてゐるので、今その一節を引用して見よう。―――
招待を受けたのは、都下の美術家、評論家、小説家等で、大家と新進とを概ね網羅し、非常に広い範囲に亙つてゐた。「新思潮」からは、私一人であつたか、外にも誰か行