林 芙美子
ボルネオ ダイヤ
暗い水のほとりで蝋燭の燈が光つてゐる。ほんのさつき、最後の夕映が、遠く刷き消されていつたとおもふと、水の上を一日ぢゆう漂うてゐた布袋草も靜かに何處かの水邊で、今夜の宿りに停つてしまふに違ひない……。漕ぎ出てゐる小舟の楫の音がいやにはつきりと聞える靜けさだ。ぴちやぴちやと水の音は聞いてゐる者のこゝろの芯にまで吸ひこまれるやうに、たまらない人戀しさと、淋しさを誘つて來る。時々、家のまはりの唸り木がざわざわとゆれてゐた。――球江は裸で白い蚊帳のなかに腹這つてゐた。長い枕のやうなダッチワイフに兩足をのせて、まるで蛙を引き伸ばしたやうなかつかうでジャワ人の女按摩に躯を揉んでもらつてゐた。女按摩は球江の躯ぢゆうに椰子油をぬるぬると塗りたくりながら、固い掌でゆるくのの字を書くやうなしぐさで、油で濡れてゐる背中を揉んでゐる。大判のタオルに顏を押しつけて、球江は手離した子供のことを考へてゐた。隨分遠いところへ來てしまつたものだと思つてゐる。もうこのまゝ内地へは復れないやうな氣さへしてくる。どんよりと重苦しいほど暑くて、それに、やかましく食用蛙が啼きたててゐるせゐか、考へることは少しもまとまつて瞼に浮きあがつてはこない。廣島の港を離れるときは雨が降つてゐたかしら……。四ヶ月前の、けなげな自分の旅のすがたがいまでは人のことのやうに思ひ出されるだけだつた。バリトの廣い河口へ船がはいつて來たのは夕方だつたかしら……。マングロープの茂つた土手沿ひに、赤く濁つた水の上を船はゆるく滑つてゐた。うつゝからうつゝへ、季節のまるでない妙な季節が、他愛もなく球江の思ひ出のなかに、獨樂のやうに毎日同じところをぐるぐると