伊藤 左千夫

家庭小言

一

近頃は、家庭問題と云うことが、至る所に盛んなようだ。どういう訳で、かく家庭問題が八釜敷なって来たのであろうか。其の原因に就いて考えて見たらば、又種々な理由があって、随分と面白くない原因などを発見するであろうと思われる。乍併、此の家庭問題を、色々と討究して、八釜しくいうて居る現象は、決して悪い事でない、寧ろ悦ぶべき状態に相違ないのであろう。只其の家庭問題を、彼是云うて居る夫子其の人の家庭が、果して能く整うて居るのであろうか、平生円満な家庭にある人などは、却って家庭問題の何物たるかをも知らぬと云うような事実がありはせまいか、是れは少しく考うべき事であると思う。予は現に、人の妻と姦通して、遂に其の妻を奪った人が、家庭の読物を、発刊しようかなどと云って居るのを、聞いたことがある。猶予自身の如きは、幸に家庭の不快など経験したことがないので、家庭の問題などは、主人の心持一つで、無造作に解決せらるるものと信じて居った。殊更に家庭の円満とか家庭の趣味とか、八釜しく云うことが、却っておかしく思われて居った。

それは、今日世上に、家庭問題を論究しつつある人々の内にも、必しも不円満な家庭中の人許りは居るまい、人の模範となるべき家庭を保って居る人も、多いであろうけれども、実行の伴わない論者も、決して少くはあるまいと思う。円満な家庭中の人が、却って不円満な家庭の人から講釈いわるるような、奇態の事実がありはせまいか。云うまでもなく、家庭問題は、学術上の問題ではない事実の問題であるから、実験に基づかぬ話は、何程才学ある人の云うことでも、容易に価値を認めることの出来ないが普通である。世の学者教育家などの、

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