泉 鏡花

三尺角

一

「…………」

山には木樵唄、水には船唄、駅路には馬子の唄、渠等はこれを以て心を慰め、労を休め、我が身を忘れて屈託なくその業に服するので、恰も時計が動く毎にセコンドが鳴るようなものであろう。またそれがために勢を増し、力を得ることは、戦に鯨波を挙げるに斉しい、曳々! と一斉に声を合わせるトタンに、故郷も、妻子も、死も、時間も、慾も、未練も忘れるのである。

同じ道理で、坂は照る照る鈴鹿は曇る=といい、袷遣りたや足袋添えて=と唱える場合には、いずれも疲を休めるのである、無益なものおもいを消すのである、寧ろ苦労を紛らそうとするのである、憂を散じよう、恋を忘れよう、泣音を忍ぼうとするのである。

青空文庫の作品カード