山本 周五郎
葦は見ていた
一
五月はじめの朝四時ごろ、――
熊井川は濃い霧に掩われていた。まだあたりは薄暗く、どちらを見ても殆んどみとおしはきかない。川岸には葦が茂っていた、葦は岸から川の中まで、川の中の七八間さきまでも生え、それが川上にも川下にも続いている。岸は狭く、すぐ堤に接し、その堤は十尺余りの高さであるが、土質が脆いので、絶えずぱらぱらと土が崩れていた。特にひとところ、その崩れのひどい処があり、そこには段々に土が窪んで、人の登りおりした跡が出来ていた。
風は少しもなかった。霧は動いているのだが、ほんの僅かに動いているだけで、よくよく眼をとめて見ないとわからないくらいだった。