山本 周五郎
菊屋敷
一
志保は庭へおりて菊を剪っていた。いつまでも狭霧の霽れぬ朝で、道をゆく馬の蹄の音は聞えながら、人も馬もおぼろにしか見えない。生垣のすぐ外がわを流れている小川のせせらぎも、どこか遠くから響いてくるように眠たげである、……露でしとどに手を濡らしながら、剪った花をそろえていると、お萱が近寄って来て呼びかけた。
「お嬢さま、もう八時でございます、お髪をおあげ致しましょう」
「おやもうそんな時刻なの」志保は眉を寄せるようにして空を見あげた、「……霧が深いので刻の移るのがわからなかった、それでは少し急がなくてはね」