山本 周五郎

紅梅月毛

一

慶長十年二月はじめの或る日、伊勢のくに桑名城のあるじ本多中務大輔忠勝の家中で、馬術に堪能といわれる者ばかり十六人が城へ呼ばれた。深谷半之丞もそのひとりだった、かれが登城して遠侍の間へはいると、そこにはもう殆んどみんな集って、さかんに馬のはなしをしているところだった、それでかれはいつものように片隅へ坐って、黙って人々のはなしを聴いていた。

「馬についてはわれらの殿にたくさん逸話がある」松野権九郎がそう云いだした、「小牧山の合戦のときだったが、永井与次郎どのが乗り損じて落馬した、馬はそれてとびあがりとびあがり敵のほうへと奔ってゆく、永井どのはすぐ追いかけたが徒だちだからとても及ばない、と見るなり、殿は御乗馬にひと鞭あてて永井どのを追いぬき、それ馬をひっしと敵勢の中へ追いこんだうえ取り戻しておいでになった」「そうだ、あのときは敵兵も歯噛みをして、憎き本多がふるまいかな、とずいぶん口惜しがったそうだ」「また関ヶ原のときにもある」権九郎はつづけて云った、「九月十五日の戦はお旗まわり四百騎の少数で先陣をあそばされたが、一戦のはじめに流れ弾丸で御乗馬が斃された、お乗り替はない、どうなさるかと思ったら、殿には傍にあった石へ悠然とお腰をかけてしまわれた。箭弾丸の飛んで来る戦場のまん中で、こう……悠然と石に腰をかけて待っておいでになる、そこへ井伊どのの老臣で木俣土佐という者が馬を煽って来た、殿には大音に呼びとめて、――馬を貸し候えと仰せられたが、相手も合戦のまっただ中で馬をゆずるわけにはいかない、お貸し申すこと相かなわず、と答えていってしまった、五人までそうやってお呼びとめあそばしたそうだ、あ

青空文庫の作品カード