山本 周五郎
恋の伝七郎
歌舞伎役者もはだしの美男
「みんなどうした、そんな隅の方へ引込んでしまってどうしようというんだ」村松銀之丞は竹刀に素振りをくれながら、端麗な顔でぐるっとまわりを見まわした、「道場は剣術の稽古をする所で居眠りをする場所じゃあない、さあおれが揉んでやるから出て来い、そこにいる松井、おまえ出ろ」「いや、いや拙者はちょっと頭が痛いもんで」松井某は片手で額を押えながら慌てて後へ退った。「じゃあ野本おまえ来い」「私はもうあがるところで」「田中はまだ汗をかいてないな」「拙者はその、いやもう今日は腹が痛くって」「おれはどうも足の神経痛がよくない」「今日は親の忌日だから」
てんでが、指名されない先に逃げを張っている。……なにしろこの師範代は稽古が荒いのだ、歌舞伎役者のような美男で、起ち居も上品だし、言葉つきもたいそう雅びたものだが、いったん竹刀を持つと人が変ってしまう。どんな初心な者にも容赦というものがない、面を打って胴を払って足がらみにかけてすっ飛ばす、その一つ一つが辛辣で骨に徹るほど烈しい、これから先も加減というものがないのである、だから師範代の稽古というとみんなどこかしら痛みだしたり、親の忌日を思いだしたりするわけであった。
村松銀之丞は嘲笑の眼でもう一度ぐるっと彼等を眺めまわした、「どいつもこいつも骨の無い奴ばかりだ、痛いのが厭なら上手になれ、上手になる望みがなければ剣術なんか止めてしまえ、そのほうがこっちも暇が潰れなくていい、稽古というものは、……やあ伝七、おまえそんな蔭に縮まってなにをしているんだ」そう云いながら銀之丞はつかつかと片隅へいって、門弟たちの後に首を縮めていた一人の若者の