山本 周五郎

五瓣の椿

序章

天保五年正月二日に、本所の亀戸天神に近い白河端というところで、中村仏庵という奇人が病死した。年は八十四歳であった。彼は大工と畳職の棟梁であるが、書をよくし、雲介舎弥太夫と号していた。それは、箱根へ湯治にいったとき、駕籠舁から息杖を買って帰り、その杖に諸家から題詩を貰って彫りつけ柱に掛けて自慢していた。それで雲介舎などとなのったらしいが、そのまえ、本所の小梅に住んでいたとき、役者の岩井紫若がその土地を買った。紫若はそこへ家を建てるので、追立てられた彼ははらだちまぎれに、その住み古した家の壁へ左のような狂歌を書いて立退いた。

雲介が住みあらしたる家なれば

河原乞食や跡にきぬらん

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