山本 周五郎
失蝶記
一
紺野かず子さま。
この手記はあなたに読んでもらうために書きます。こういう騒がしい時勢であり、私は追われる身の一所不住というありさまですから、あるいはお手に届かないかもしれません。また、終りまで書くことができるかどうかもわかりませんが、もしお手許に届いたばあいには、どうか平静な気持で読んで下さるよう、はじめにお願いしておきます。
いま私のいるところは、城下町から一里ほどはなれた山の中で、かなり近く宇多川の流れを見ることができます。西山での不幸な出来事、あの取返しようのない出来事があってから約十日、私はつぎつぎと隠れがを求めてさまよい歩き、三日まえからこの家の世話になっていますが、おそらく、またすぐに出てゆかなければならなくなるでしょう。いどころも、人の名もそのままは書きません。どういうことで迷惑をかけるかもしれないからです。しかしあなたにはおよそ推察ができるように記すつもりです。