山本 周五郎

合歓木の蔭

一

誰かが自分を見ている。奈尾はさっきからそのことに気がついていた。もちろん右側の男たちの席からである、さりげなく振り向いてみるが、その人はすばやく視線をそらすとみえて、どうしてもその眼をとらえることが出来なかった。――こんど完成した二の丸御殿の舞台で、こけら落しとかいう、江戸から観世一座が呼ばれ、殿さまも安宅の弁慶をおつとめになる演能に、寄合以上の者が家族といっしょに拝見を許された。母のない奈尾は叔母のまさ女に付き添われて来たのだが、席へつくとすぐ叔母は知合いの婦人と会い、その婦人がさらに三人ほどつれを呼んできた。旧友がひとかたまりになったというかたちで、奈尾はいつか会話の外へ残されてしまった。……市蔵という兄だけでおんな姉妹もないし父が厳しくて稽古ごとなどもみんな師匠を家へ呼んで習ったから奈尾には友達というものがなかった。まわりを見ると同じ年ごろの娘たちはたいていつれがあって、おかしそうに耳こすりをしたり、ささやいたり※(「目+旬」、第3水準1-88-80)ぜをしあったりしている、慎ましくとりつくろっているだけ余計に楽しそうである。なかには男の席から会釈をおくられて、羞かしそうに赤くなる者や、勇敢に挨拶を返してつれの娘に叩かれる者などもいた。

「さあこんどは安宅ですよ奈尾さん、殿さまの弁慶は江戸ではたいそうな評判だそうですから、よく気をつけて拝見しましょうね」

叔母がそう教えてくれた。奈尾は黙ってうなずいたが興味はわかなかった。もう三番ほど能役の演るのを見るのは見たけれども、言葉もしぐさもよくわからず、物語の筋もはっきりしないから少しも面白くないのである。――またあの眼が見

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