山本 周五郎

みずぐるま

一

明和五年の春二月。――三河のくに岡崎城下の西のはずれにある光円寺の境内で、「岩本新之丞一座」というのが掛け小屋の興行をした。弘田和次郎は友人の谷口修理にさそわれて、或る日それを見物にいった。弘田家は六百五十石の老職で、家柄は国許の交代次席家老であるが、二年まえに姉の自殺したことが祟って、父の平右衛門は職を辞して隠居し、和次郎は十八歳で家督を継いだが、現在まだ無役のままであった。谷口修理は三百石の中老の子で、和次郎より二歳年長であり、和次郎にとっては母方の従兄に当っていた。

興行の掛け小屋は、丸太で組み蓆と幕で囲ったもので、楽屋と舞台は床があげてあり、客席の半分も桟敷になっているが、大半は立ったまま見物するようになっていた。番組は数種の舞踊と、唄、犬や猿の芸当、手品、曲芸などで、十二人いる座員は男より若い女のほうが多かった。ほぼ満員の客にまじって、座がしら岩本新之丞の槍踊りと、犬と猿の芸当、それに岩本操太夫という娘の手品まで見ると、和次郎は退屈になって「出よう」と云った。

「まあ待てよ、あそこに書いてある美若太夫というのを見せたいんだ」と修理はひきとめて云った、「もう二番くらいだから、もう少し辛抱してくれ」

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