山本 周五郎

水の下の石

一

「おそろしく暗いな……如法闇夜とはこんな晩のことをいうのだろうな」列の五六人さきでそう云うこえがした、だがそれに答える者はなかった。二列になって泥濘を踏んでゆく百余人の武者草鞋の音だけが、単調な、飽き飽きするくらいおなじ歩度で少しのとぎれもなく続いている、濃い闇をこめて降る雨は霧のように粒がこまかくて、甲冑や具足の隙間から浸みこみ、膚をつたって骨までじっとり濡らすかと思える。三日二夜ぶっとおしに、山を越え峡谷をわけての強行で、たれもかれも疲れきっていた、口をきくのもたいぎだった。われとひとのわかちもない、単調な、気のめいるような足音、粘りつくような泥濘を踏むその足音にひきずられる感じで、みんな黙々とただ歩くことに専念した。「……だが如法闇夜という言葉はどうもおかしい」さっきの声の主がまたそう云った、「法の如く暗いというと、法というものがもともと暗闇だということになる、法が闇だなどということはない、そうだろう杉原、どうだ、きさまそう思わないか……」しかしやはり返辞はない、加行小弥太は肩の銃をゆりあげながら、――安倍大七も疲れてきたな、そう思ってふと微笑した。合戦のとき形勢が悪くなるとか、永陣で退屈しはじめるとかすると、まるでつかぬことを話しだすのが大七のきまりだった、少しまえ十人がしらにとりたてられてからは暫くその癖も出なかったが、今ひさしぶりに用もないことを云いだしたのは、かれも相当こたえてきたのに違いない、意地の強いかれの顔が見えるようで、小弥太はもういちどそっと微笑した。それから五十歩ほどもいったであろうか、安倍大七がまたなにか云いだそうとしたとき、とつぜん列の先のほう

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