山本 周五郎
山彦乙女
序の章
安倍半之助が、ついに彼の生涯を縛りつけることになった「かんば沢」の名を、初めて耳にしたのは十歳の年のことであった。それはかなりきみの悪い、妖しい話であり、のちに、兵庫という叔父の奇怪な失踪、という出来ごとにも、関連していた。
遠藤兵庫という人は、半之助にとって母方の叔父に当り、道楽者でしようがない、という噂をよく聞いた。そんなことが祟ったものかどうか、甲府勤番にまわされたが、一年ぶりかで江戸へ出て来て、半之助の家に二日ほど泊ったとき、その話をしていった。
叔父は背丈のすらりとした、眼のやさしい、なかなかの美男で、立ち居もおっとりしていたし、いつも静かな笑い顔をしていたが、それはあいそがいいというより、むしろ皮肉な、人をばかにしているといったような、感じのものに近かった。