山本 周五郎
樅ノ木は残った
意地の座
甲斐が「席次争い」の騒ぎを知ったのは、矢崎舎人の裁きがあって、十日ほど経ったのちのことであった。
それまでにも、甲斐には辛いことが続いていた。おと年(寛文五年)の夏、塩沢丹三郎が毒死し、去年の正月には茂庭周防に死なれた。周防が寝ついていた百余日、病床をみまったのは、僅かに三度だった。それも二度は他のみまい客といっしょで、まったく形式的な挨拶しかしなかった。ただいちど、独りでみまったときも、ほんの四半刻あまりしかいなかったし、そのときでさえも、深入りをした話しは、二人ともしなかった。
――話すことはないな。