山本 周五郎

赤ひげ診療譚

一

梅雨があけて半月ほど経ったころ、狂女のおゆみが自殺をはかった。まえにも記したとおり、彼女はお杉という若い召使と二人で、病棟から離れた住居にいる。それは彼女の親が新らしく建てたもので、窓には太い格子があるし、一つだけの出入り口には鍵が掛かる。ぜんたいが座敷牢のような造りになっており、召使のお杉はその出入りごとに、いちいち鍵を外し鍵を掛けるのであるが、その日、お杉が炊事場で夕餉の支度をしているあいだに、おゆみは窓の格子へ扱帯をかけて、縊死しようとした。

そのとき保本登は養生所にいなかった。彼はいつものように、新出去定の供をして外診に廻ってい、その時刻には神田佐久間町の、藤吉という大工の家で、猪之という男の診察をしていた。猪之はやはり大工で藤吉の弟分に当り、年は二十五歳だという。初め養生所へ頼みに来たのは、兄哥分の藤吉であった。

――ほかの医者はみんな気が狂ったというんですが、私にはそうは思えない、猪之とは頭梁の家で子飼いからいっしょだったし、頭梁の家を出たあとも、私が女房を貰うまでは、長屋の一軒でいっしょにくらしました。こうやって十年以上もつきあって来て、あいつの性分も癖もよく知っているんです。

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