会津 八一
少年少女におくる言葉
私は新潟の生れで小學校は西堀小學校(今はないが、廣小路の消防の詰署のある附近)へ通つたものだ。そこを出て大畑の高等小學校へ進んだが、成績はけつして優等どころでなく、やうやく眞中へとどくかとどかないかといふ程度だつた。
卒業する時、學校へ自分の目的を紙に書いて出すこととなつた。その時私の同級生は總理大臣になりたいとか、陸軍大臣けん海軍大臣になるとか、さういふことをはなばなしく書いて出した人が多かつた。私は今でもわすれないが、小學校を出たなら百姓になる、ただの百姓で一生くらしたいといふことを書いて出した記憶がある。
當時そんなことを書いたのは私だけだつたと思ふ。當時の私は年齡的にも希望に輝いてをらず成績もあまりよくなかつたために、そんなことを書いたのだらうと思ふ。
けつして今いふところの平民思想とかを當時もつてゐたのではない。ただ私が、ふるはない、平凡な、そして學問もあまりはなばなしくないただの子供だつたことを示すものだ。