永井 荷風

ひかげの花

一

二人の借りている二階の硝子窓の外はこの家の物干場になっている。その日もやがて正午ちかくであろう。どこからともなく鰯を焼く匂がして物干の上にはさっきから同じ二階の表座敷を借りている女が寐衣の裾をかかげて頻に物を干している影が磨硝子の面に動いている。

「ちょいと、今日は晦日だったわね。後であんた郵便局まで行ってきてくれない。」とまだ夜具の中で新聞を見ている男の方を見返ったのは年のころ三十も大分越したと見える女で、細帯もしめず洗いざらしの浴衣の前も引きはだけたまま、鏡台の前に立膝して寝乱れた髪を束ねている。

「うむ。行って来よう。火種はあるか。この二、三日大分寒くなって来たな。」と男はまだ寐たまま起きようともしない。

青空文庫の作品カード