大隈 重信
世界平和の趨勢
平和の曙光
元来、平和は弱いものであるから、強い者が出てこれを破ろうと思えば容易に破り得らるるものである。故にあくまで平和主義を持して国際競争場裡に立ち、優勝を制せんことは、過去は勿論、現時に於てもほとんど絶対に不可能のことである。如何なる場合にありても戦争をせないということは、即ち敵手国に屈従をあえてするという意味である。かの宋朝が絶対平和主義を持して北方の強たる金及び元に苦しめられ、胡澹庵をして慷慨のあまり、秦檜、王倫斬るべしと絶叫せしめた上奏文を見ても、如何に絶対平和主義を持する国家の憫れむべきものであるかが分かる。古今東西の歴史の示すところ、絶対平和を持する国が他の強国と対峙して優勝を制した例はない。故に一国といえども強兵を挟んで他を侵略せんとするの意図を有する間は、世界的の平和を期することは不可能である。さらば世界的の平和は到底望むべからざるかというに、決してそうではない。平和の曙光は今日既に見えて来たのである。
過般来朝したジョルダン博士は、昔は農民の上に貴族が跨ってこれに鞭ち、今は農民の上に兵士が跨り、兵士の上に更に資本家が跨ってこれに鞭っておるという仏蘭西のある雑誌に出たポンチ絵の話をして、今や世界の実権が国家を去って金力――資本家――に移りしことをいい、現下各国が重大なる軍事費を負担せるものは、皆これら資本家が政府に強いて軍備を競争的に拡張せしめ、以て自己の利を図るの結果であると喝破したが、これは如何にもその通りである。近世に於ける欧州の戦費の五百億は皆猶太人のポッケットより出たものである。かの世界第一の富豪ロスチャイルド家の如きも、各国の政府に金を貸し付け