アンデルセン ハンス・クリスチャン

絵のない絵本

絵のない絵本

ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞かせています。それに、わたしのスケッチや絵を見てくれた人たちは、みんながみんな、そう認めてくれているのです。

わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路の一つに住んでいます。といっても、光がさしてこないというようなことはありません。なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。それもそのはず、森やみどりの丘のかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突ばかりなのですからね。おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。

ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。あの故郷の、沼地のそばに生えて

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