岡本 かの子
ミス・マシュウの新職業
ミス・マシュウが素人のままで女の媚が金に換る過程をはっきり掴めたのは父親が死んだその夜だ。
父親はアルバート・ホールのオーケストラに出たことのある笛吹きだった。頽齢で楽団を辞職させられてから僅の年金では暮しに足りなくて音楽の家庭教師をした。その職業も有り無しなので娘も働きに出た。
母親はマシュウが七つの時、仏蘭西から来た小唄うたいと駆落ちして行方が知れない。父親は死ぬとき娘にあの母親には盗癖があって、ふだん困らされたものだ。若しあの小唄うたいが今でもあの母親と同棲しているとしたら、あいつはしじゅう近所の店屋から苦情を持込まれて弁償ばかりしているに違いない。そう思うとおかしくて仕様が無いと言ってけらけらと笑って、いつも寝る時のように自分で蝋燭を吹き消して死んで行った。電燈は料金の不払いからとっくに止められていた。
女タイピストの週給が十志、デパートの店員の週給が十五志だ。何を勤めても素人女が独立して喰べられる職は無い。欧洲大戦は英国に女の戦争中の働きを感謝させて選挙権を与えさせたが代りに沢山の男を殺して英国の女に結婚の望を少くさせた。有り余る女がただ時間潰しのためと化粧代と電車賃を得るがために僅な職業にさえ血眼の奪い合いをする。競争に疲れて骨だけになる――。ついに髭の生えた中性の老婆になって慈善病院で死んで行く――囚人の拵えたレデー・メードの柩が待っている。