永井 荷風
森先生の事
森先生の事に關してわたしは一時にいろ/\の雜誌や新聞から執筆を請はれてゐるが、今の場合何を書いてよいものか殆ど考をまとめる事ができない。もすこし時日を經た後でなければ何も書く氣にはなれない。
森先生が六十年の生涯と其の間に研究された學藝とは宛ら百科辭典の如くに廣大なものである。
わたしの窺ひ知る事を得たのは僅に先生が文藝の一局面に止つてゐる。それさへ仔細に見ればまた頗る複雜なものである。文學者として森先生を見やうとするには、まづ批評家として、飜譯家として、戯曲家として、小説家として、漢詩家として、歌人として、それ/″\その著述を再讀した上でなければ、こゝには何も言ふ事はできない。
先生は新に日本の文學を復興させた人である。然し日本の文壇に對しては飽くまでも傍業家の態度を取つて居られた。これは日本の國情と文壇の氣風の如何を知らうとする場合、甚だ興味ある事である。