会津 八一
大学とその総長
綜合大學を作るのに、まづもつて、何よりも大切なのは、よき總長を得ることだといふやうな意見を、最近何處かで見たが、これはとんでもない大まちがひの意見で、私は、びつくりしてしまつた。大學を作るには、先日も述べたやうに何より大切なのは、よき教授を見つけて來ることで、總長は、その教授團の中から選擧で出來るものだ。
國立大學は、もともと、政府が建てたもので、その目的が、學問の研究にあるのは、いふまでもないが、さしあたつて明治の新政府に採用すべき役人の養成といふ使命があつた。この使命は、初期には、ことに強かつた。そこで官僚大學といふ名實を備へることになつた。けれども、いくつかの部門に分れ、それぞれの部長があつたので、その上に總長があつた。その總長は、最初は官から任命した。恐らく今でも、同じことであらうが、いつの頃からか、教授團から選擧して多數で當選した部長の中から選擧して任命されることになつてゐる。
慶應大學は、もとは福澤さん、早稻田は大隈さんの私立であつたから、西郷さんの私學校ほどではないが、私塾的の性質が強かつた。けれども、どちらも、今ではいくつかの部門を持つ綜合大學で、總長は、教授團を基礎にした選擧で決めてゐる。明治大學でも、日本大學でも、どこでも同じことであらう。
これらの國立、私立の大學の總長は、その大學の首班の位置に居つて、外に對しては代表者となり、内においては行政をつかさどるが、學者として教授として、めいめいに專門があるから、その專門の講義を擔任しながら、總長を引き受けて行くのが本筋で、教育行政の專門家とか、總長業者といふやうな人たちが、一手に、永久的に、この位置を占據してし