佐藤 春夫

もののまちがひ

井伏鱒二君の文は虚実相半して自ら趣を成すものである。たとへばそれは歪んだ面をもつた田舎の理髪店の鏡のごとく現実を歪んで映し出してゐる。しかし決して現実の姿を総体として誤ることなく映し出してゐるのも事実であつて、そのままならぬ姿の現実、現実を井伏特有の方則で歪めてゐるところに君の所謂なつかしい現実の世界を創造してゐる。その姿はやや不確に歪みながらにもその内部に現実の精神の活躍してゐる点、君と内田百間君とは稍その趣の相通ずるところのあるのを覚えた。現実の輪廓を模してその真を失ふのが凡庸な芸術家の恒である。これに反して一見現実の形を無視したかのやうに見えながら或は現実を全く変貌してしまひながらもよく現実の精神を捕捉する者こそ真の芸術家である。従つて君と内田君との相似とてもともに傑れた芸術家の一人だといふ点だけでその他の問題ではないかも知れない。井伏内田の対比論は、それ故、もうこれ以上には進めない。次の機会を得て更に深く考へて見たいものである。それにしても「田園記」中「夏の狐」の一章の如きは愛読するに堪えた名品であつた。ただ惜むところは君がこの奇想を惜しげもなくあんな小品にして纒めてしまつた点である。否、あれだけの小品のうちにあれほどの興味と美観とを盛つた点に君の力があると言つた方が妥当なのかも知れない。鯨のお産の話だつて何等の可憐、何等の美観ぞやと呟きたくなるものがある。ただにこの二篇のみではなく全篇、その想や可憐純真その文の高雅清新なることまさしく佐野氏の装幀とその優劣を競ふに足るもので、この点その酒を盛るに適当な皮袋を以てしたものである。しかし拙文は田園記の広告文ではないから、そ

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