野上 彰

本因坊秀哉

本因坊名人秀哉がまだ元気でいられたころだから昭和十年前後のこと。碁界では、現在の名人とその一時代前の名人……本因坊秀甫、秀栄とはたしてどちらが強いのだろうか問題にした……ぼくたちも、それを話題にし、人からも訊かれた。このような話は比較しようのないことなのだから、具体的にはつきりした答えが出ようはずはない。ただ田村保寿と呼ばれた昔から、先生の秀栄には一目を置いて来ているので、多くの棋士たちは、秀栄名人の名人芸を高く評価して、秀哉名人を低く見る傾きはあつたようだ。

ところで、いまぼくたちの感じでは、秀哉名人は近世の名人たちの間でもやはり一つの大きな山であつたようだ。その峯の高さを秀甫、秀栄の峯の高さと比べることはやはり出来ないとしても、野沢竹朝八段が、天下の芋掘り碁と批評したのは、あたつていないのではあるまいか。竹朝は秀栄に学んで秀栄の碁風を骨の髄までたたきこんでいるために、力戦に特色を持つ秀哉の芸風が気にいらなかつたのであろう。秀栄は碁を打つ時間も早く、ことに有名な話として伝えられているように……秀栄名人と対局するといつでも、次に打つ手が二ついい所があつて、その一方を打てば秀栄名人にほかの一方を打たれる……というように、こちらは一生懸命考えて石を下しても、名人の方はちやんとほかの好点を占めて、いささかも、渋滞することがない。流れる水のようにさらさらと打ち進んで、しかも、碁は非常に広くなつている……これは秀栄の名人芸として有名な話なのだが……秀哉はそれに反して、対局時間は永く、打つ手を、一手一手読み切らないと打てない棋風のようだつた。しかも中盤の力闘には、古今に比べもののない激しさ

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