吉野 秀雄
長谷川等伯の「松林図屏風」
水墨の絵から何か一つ選ばうと思案する間もなく、長谷川等伯の松林図屏風がはうふつと目の前に現はれた。上野の博物館にあるもので、いくたびかそこで見、そのたびに感動の溜息をついた絵だ。
六曲一双つまり十二扇の大画面に、濃淡およそ二十本ばかりの松が、遠近・高低・幹の直立と斜め等の関係を保ちつつ、見事な調子でさらさらと描かれてゐる。煙雨がいつぱいにたてこめ、かくれて見えない松も多いらしい。逆にいふと、松の見えない部分はすべて煙雨で、それがこの絵の余裕となり、そこに松を浮かせて情趣をかもしだす下地をなしてゐる。近くの墨の濃い松を見ると、幹は強く、葉はじつに鋭い。毛筆のほかにわらしべで作る藁筆を使つたのだらうといはれるのも、なるほどとうなづかれる。
しづかにながめこむと、自分はいつしか松の林を歩いてゐる。そして絵に対する時節が春ならなまあたたかい夕靄が身をつつみ、秋ならややつめたい朝霧がはだにふれる。それはいかにも日本の風土に即したやはらかい感触だが、それよりもさらに、松の木についてわれわれ日本人のいだく親愛の情がむらむらとよみがへるのを覚える。
〈一つ松〉と呼んで松を人間扱ひすることは、記紀歌謡・万葉集から実朝・良寛の歌にまで及んでゐる。〈松原〉もやはり記紀・万葉以来の好歌材で、〈あらら―マバラの意―松原〉などといふうつくしい言葉も残つてゐる。松の絵は日本だけのものではないが、日本人の血液には松への特別の感情が流れ、それが古来数多くの松の絵をかかせてきたといふ気がする。