菱山 修三

再びこの人を見よ

梶井基次郎氏が死んだ。――氏の生の論理もたうとう往きつく処まで往きついた。それはもはや何ものも語らない。在るものは寂寞ばかりだ。まことに死は現実の極点であらう。氏は最後のその死を死んだ。そこからはもはや何にも始まらない。唯現在、何かが始まるとすれば、――それはまさしく私の入り込んでゐる薄暗い、冷やかな、しづかな世界以外の処ではないであらう。

……始めにはよく歩いてゐた、驀地に歩いてゐるなと思つてゐると、屡々立ち停つたり振り顧つたりして、それでもよく歩いてゐた。その内に坐らなければならなくなり、それから全く寝ついて了つた。それにも拘はらず、氏の「眼」はその生涯をとほして変りなく輝いてゐた。即ち氏はその克己の、その超己の生涯をとほして立派に歩き続けたのである、第一流の作家が恒にさうであるやうに。しかも、死と病苦とを鷲掴みにしながら、敢てこれに戯れながら。氏の作家的業苦は恰も大樹のやうに氏を成長せしめる以外のものではなかつた。けれどもこの大樹は次第に枝先から、やがてその全体が一遍に枯れて了つた。氏の死面の上には、おそらく原始人のそれのやうに深い苦悩と共に、それにもまして大きな安堵が休んでゐたことであらう。

ある夜、氏は暗のなかを歩いてゐた。氏のずつと前方には氏と同じいやうに灯なしで歩いてゆく一人の人がゐた。暗に満たされた路上の遥か向ふには一軒だけ人家があつて、楓に似た木が幻燈のやうに灯を浴びてゐる、その家の前の明るみのなかへ氏の前をゆく人が不意に姿を現した。すると、やがてその人はその明るみを背にしてだんだん暗のなかに沈んで行つて了つた。「自分も暫くすればあの男のやうに闇のなかへ消えて

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