淀野 隆三

思ひ出づるまゝに

三高時代の思ひ出といつたものは実に際限のないものであつて、どれをとつてみようにもとる標準が見当らぬ始末である。心に触れた友達、先生、先輩等……その一人を語るにしても大したことである。況やそれらの人達と結びついた出来事をも語るに於てをや。

僕の三高時代(大正十年から十四年迄)は欧洲大戦の後の景気が徐々に退散し始めた頃であつて、僕達青年の心の底にも稍※(二の字点、1-2-22)憂鬱の蔭が萌し、幾許くかのデカダンスが巣喰ひ始めた時であつた。しかしまだ/\名残りの日の光はさし込んでゐた時であつて、華かさは残つてゐた。晩春といひたいところである。僕達は出来るだけ暗い気持にならないやうに、人工的にさへ努めて青春を味はふことに懸命になつた。漠然と思ひ出を辿ると、僕達は実に馬鹿気た楽しみを尽し、恥しいやうな勉強をしたやうに思ふ。しかし今日からみれば、それら総ての稚気も若さも実に愉しい、ほがらかな、のどかな春の思ひ出である。学校では先生を野次つて面白がつたり、怠けることを誇つたり、授業中窓から飛び出してエスケープすることを自慢したり、放課後はカフエ菊水とか江戸カフエとかノーエンとかで、らちもない片恋をしたり、勿体振つてむづかしい読書に打込んだり、文章を書いたり。しかもこれらを青年の真剣さで、恥ぢるところもなくやつてのけたのである。僕は死んだ酒井榮助を思ひ出す。僕と酒井とは毎日のやうに菊水に行つた。酒井に彼の片恋の女を見せてやるために。寮にゐた酒井からは毎日のやうに僕に手紙が来た。今三十幾通残つてゐる。酒井は才能のある若者であつたが、馬鹿がたゝつて一年の間に死んでしまつた。また僕たちは「丘」といふ

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