薄田 太郎

広島という名の由来

輝元の築城

 広島城のことを鯉城というが、この鯉城というのはこの土地が己斐の浦に臨んでいたので、己斐が鯉の音に通じるところから、こう名付けられたものといわれる。

講談調になって恐縮だが、豊臣秀吉が天下をとると、西の方で気になるのは毛利輝元であった。秀吉はなんとなく毛利氏の本城、安芸の吉田にある郡山の城を、どこかよそに移転させようと考えはじめたのである。西の毛利氏の山城、吉田の本城を、なんとかして平地に移して毛利氏と手をにぎりたいと、播州龍野の城主蜂須賀彦右衛門を使って、毛利輝元に広島出向方を勧めたのである。

当時は広島ともいわず、この土地は見るからにアシのおい茂っていた、水びたしの荒れ果てたところであった。決して、川よ、とわに美しく、などといえるデルタ地帯ではなかった。当時の呼称でいえば五箇荘といわれ、鍛冶塚の荘、平塚の荘、在間の庄、広瀬の庄、箱島(白島)の庄の五つの地域で構成されていた。当時の岩鼻や比治山のスソは海中に洗われて、向宇品に当る手奈島や仁保島は、はるか海中に姿を見せていた。

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