山之口 貘
月見草
現在のところに住んで、まる六年になる。東京都練馬区なのであるが、山手線の池袋駅からは、私鉄で十五分くらいのところで、まだまだたんぼや畑など私鉄の窓からもながめられて、いわゆる武蔵野を感じないではいられないのだ。
ぼくの住んでいる家のすぐ前には、舗装道路がはっていて、石神井、新橋間のバスやその他の自動車が昼夜走っている。その道路を左へ百メートルほども行くと左右がたんぼになって、人家がまばらで、むこうには八幡さまの森が見え、そのずっとむこうに秩父方面の山脈がながめられるのだ。
今年も、また、例によって、庭には月見草が咲き出した。この家に、ぼくの一家が来たころは、まだ家主さんの家庭菜園なのであったが、まもなくもとの庭になって、月見草も今年で五回目の花を咲くわけである。
ぼくは、生活上のいろいろの事情で、原稿を書くのは夜なのだが、夏になると、机の前のガラス戸をあけて仕事にかかる。すると、スタンドのまわりに、様々の虫が寄ってくるのだ。蚊はもちろんのこと、カブトムシだのカナブンだの、ガだのアシナガだの、それにクモまでが原稿紙をのぞきに寄ってくるのである。これらの虫達はなにも、ぼくの仕事を邪魔するつもりで生きているのではなかろうが、ぼくにしてみれば腹の立つことで、残念ながら、愛情をもって虫達を迎えることが出来ないのだ。それどころか、はなはだ残酷なことをしないでいられなくなったりして、むきになってしまって、虫達の生命をどれほど奪い去ったかも知れないのである。