中谷 宇吉郎
鉛筆のしん
私たちは小さい時から、「おぎょうぎよくなさい」ということばを、いつも聞かされたものです。箸の持ち方、茶碗とお椀とお皿の置き方、食べ方、坐り方から、帯のしめ方までずいぶん細かいことを、いちいちやかましく注意されました。
こんなことは、昭和の時代になってから、だんだんゆるくなってきました。戦争中には、一時、ゆがめられた形で、しつけがやかましくいわれましたが、本当のしつけは忘れられてしまっていました。とくに、戦争が終ってアメリカの新しい考え方がはいってきてからは、しつけは、やかましくいわれないどころか、まるで悪いことのように思われているようです。このことは、今のうちにもう一度ゆっくり考えて直しておかないと、困ったことになる心配があります。
しつけをやかましくいうことが、どうして新しい考え方にもとるのでしょうか。新しい考え方といわれるのは、ひとりひとりの人間の値うちを尊ぶというのが、一つの大きなねらいです。そこで、いっそうその人の値うちが高くなるように、目上の人には敬いの心を持つことや、服をきちんと着ることや、食事の時、他の人にいやな感じを持たれないように、食卓の礼儀を守ることなどを細かくやかましくいうことは、新しい考え方にもとるのではなく、むしろ、新しい考え方に合うわけです。
みなさんは、アメリカの家庭では、しつけのことなんかやかましくいわれないだろうと思ってはいませんか。ぶたれるようなことは、絶対にないだろうと思っているでしょう。