中谷 宇吉郎

抗議する義務

畏友Y兄から、いつか面白い言葉をきいたことがある。それは「日本人はどうも抗議する義務を知らないから困る」というのである。

これはなかなか味のある言葉で、何か不正なことがあった場合に、それに抗議を申し込むのは、権利ではなくて義務だというのである。

例えば、電車に乗る場合に、乗客が長い列を作って待っている。やっと電車が来て、乗客が順々に乗り込む。その時脇からうまくその列に割り込んで、電車に乗ってしまう人がよくある。そういう時に、特に婦人の場合などには、自分の前に脇から一人くらい割り込んで来ても、一寸いやな顔をするくらいで、そのまま黙ってその人について乗ってしまうことがよくある。

この場合、その人はもちろん「横から割り込んではいけません」と抗議を言うべきなのである。それを、ずるずるに黙許してしまうことは、一つの道徳的な罪悪であることを、よく承知すべきである。一人くらいのことに、無闇とやかましく言うことを、何となくはしたないように考えるのは、大変な間違いなのである。これははしたあるとかないとかいう問題ではない。実は非常に利己的な考え方が、その人の心の底に意識されないで潜んでいるのであって、その点によく注意しなければならない。

青空文庫の作品カード