吉江 喬松

氷島の漁夫

PierreLoti の本名は、LouisMarieJulienViaud といつて、生れたのは、佛蘭西の西南サントンヂュ地方の有名な海港、ロシュフォールであつた。

彼には兄と妹とが一人づゝあつた。彼は第三番目で、末子であつた。隨分甘やかされて育てられたらしい。少年時から空想勝ちな兒で、學校の日課の準備をしてゐながら、遠い國々の事や、熱帶地方の光景なぞを胸に浮べて、恍りしてゐた。學校へ行くのもとかく怠け勝ちであつた。

彼の祖先等は船乘りであつた。彼の祖父はトラファルガアの海戰にも出てゐた。彼と海との關係は生前からの宿縁である。幼年時から海は恐れと不思議との感じを彼の心に充たしてゐた。暗碧の色をした果てしない水の廣野、四方から迫るが如く響きを寄せて來る夕方の海を初めて彼が眺めやつた時は、恐れと悲しみと、寂しさと、然かもなほ言ひ難い誘引とを身に感じたのであつた。

寂しさと悲しさと然かもなほ言ひ難き誘引とを起す大洋は、彼にとつては一種不可思議な世界であつた。セルトの種族の前へいつも誘引の魅力を見せる自然は、彼にも同じ力を及ぼさずにはゐなかつた。夢を追ふ心、不思議の國を追求する心、それが彼を驅つて洋上の人とならしめずには置かなかつた。

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