萩原 朔太郎
所得人 室生犀星
世には二種屬の人間がある。一方の種屬の者は、いつもムダな死金を使ひ、時間を空費し、無益に精力を消耗して、人生を虚妄の悔恨に終つてしまふ。彼等は「人生の浪費者」である。反對に他の者は、物質上にも精神上にも、巧みにそれの最高能率を利用して、人生を最も有意義に處世する。彼等は「人生の所得者」である。
ところでこの前者の範疇は僕であり、後者の典型は室生犀星である。室生犀星は、自ら風流人を以て任じ、且つ風流の幽玄な哲理をよく説いてる。僕は風流について深く知らない。だがもし――或る人が利休に關して述べたやうに――風流といふことの生活的レアリチイが、經濟學的利用價値に於ける美の創造(廢物利用としての簡易美的生活)と言ふことになるとしたら、わが室生犀星の生活樣式などは、全く風流の極意を捉へたものである。物質上でも、時間上でも、室生ほど人生をよく利用し、一分のムダもなく生活してゐる人間はない。この意味で、彼の人生は全くエコノミカルである。しかしこの場合でのエコノミストは、世俗のいはゆる「しまり家」とは意味がちがふ。反對に彼は享樂家であり、人生の快樂すべきこと、遊戲すべきこと、美を樂しむべきことをよく知つてる。その上金づかひも鷹揚であり、友人への義理も厚く、ケチなところは少しもない。それで居て、彼の使ふすべての金が、一錢のムダもなく利用されてる。つまり彼は、決して「死金」を使はないのである。しかもそれは意識的に、彼の經濟學的觀念――彼にはそんな觀念が少しもない――でするのでなく、天性の生れついた本能から、無意識の動物叡智でやつてるのである。
昔、ひどく窮乏してゐた書生時代から、彼はさういふやり方で