金森 徳次郎
涙をもつて正義をささえる
私は検察のことは全然存じません。いろんなことを学問その他の面からやりました。然し、幸か不幸か検察に関することは何等の経験も知識もございません。それでは何のために出たかというとその理屈は別といたしまして、心の中は非常にやましいのでございます。知らずして言う、これは非常に悪いことです。私は正義をささえるには涙をもつてせよということでございますが、社会正義は冷たい考えだけで支えられるものではない。あらゆる面を考えまして溢れるが如き涙ぐましい心をもつて正義を求めねばならぬというのであります。いろいろと刑事行政の専門家の話をうかがつていると、この世の中に果して正義が行われておるであろうかという、この世上一般に対する疑問が起つて来たわけであります。何故かというと、犯罪を犯しても容易なことではその処罰が行われない。余程はつきりした証拠があり、あらゆる研究をかけてどうしてもこれを問題にするというときに、はじめて正義問題が舞台に上るのであります。多くのものは免れて恥なしというような気がしておるわけであります。私はかつて大臣をやつておりましたときに議会で時の司法大臣に質問があり、「一体闇米を汽軍で運搬するとき、自分達の親類や何かに喰わすのに闇米を運んでおるけれども、それを警察当局は摘発して闇米をとり上げてしまつて、或いは刑罰をもつて臨んでおる。これは怪しからん」という。こんなふうな質問でございました。そのとき司法大臣は「いやそんな時には決して摘発することはしないのだ。自分の責任をもつてそんなことはしないようにする」という、こういう宣言をいたしましたところ、その多くの委員会の人人は拍手せんばかりにこ