田山 花袋

日光山の奥

一

囘顧すれば曾遊二三年前、白衣の行者に交りて、海面を拔く事八千二百餘尺、清容富嶽に迫り威歩關東を壓したる日光男體山の絶巓に登りし時、東北の方、萬山相集りたる深谷に、清光鏡の如く澄影玻璃の如くなる一湖水を認め指點して傍人に問へば、そは栗山澤の奧、鬼怒の水源なる絹沼といへる湖水なりと聞きて、そゞろに神往き魂飛ぶに堪へざりしが、其の後日光山志を繙き、栗山郷を記するの條に至り、此地窮谷の間にありて、耕すべきの地極めて少く、纔かに岩石の際を穿ちて、禾穀を栽ゆるに過ぎざれば、從つて是を以て一年の貯食と爲すこと能はず、家々皆獸獵採樵してその生計を圖る云々、及び古昔平家の餘類、この山中に隱れたり云々、といふを讀むに及んで詩興頓に生じ、遊意俄かに萠して、一刻も遲疑し難く思ひたれど、紅塵深き處に束縛されたる身の、飛ぶに翼なく、翔るに足なく、山靈に背く所多しと吟じて、逡巡幾年の日月をや經にけん。然るに此頃聞くともなく聞けば、その栗山郷の今も猶昔の如く僻境たる事、その村程開けざる所は廣き日本にも又有るまじき事、それに續きて鬼怒川の奇、温泉場の古風、住民の質朴、言語の鄙野など、聞くにつけ語らるゝにつけ、わが詩興は再び燃えて、轉た心の動くに堪へざりしが、越えて明治二十八年十月幸に暇を得て、舊知識なる日光山に遊び、南谷の照尊院に寓すること十數日、一夜談偶々之に及ぶ。主僧は天下を周遊し、又曾て其地にも遊びたる人、得々として説いて曰く、「栗山の地僻は則僻なり、蠻は即ち蠻なり、然れどもその山水の奇、岩石の怪、庶幾くは天下に匹なからんか。世人溪流を言へば則木曾を説き、熊野を説き、日光を説く。しかも木曾は奇に失し、

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