山川 方夫

予感

深い谿をへだてた小さな山の斜面に、ぽつぽつ新緑が目立ちはじめ、その山肌に明暗の模様をつくりながら、いくつかの雲の落す影が動いている。遠く近く、早春の褐色の山の起伏がつらなり、それと明るくみずみずしい真青な空との対照は、美しいといえば美しく、和やかといえば和やかな景色だったが、でも、彼はそれどころではなかった。

彼は、妻とならび、山腹を削りとった道をのぼってゆく、大型バスの座席に揺られていた。妻はキャラメルを頬ばり、幼いころのピクニックなんかの話をしている。その声が、なんだか水の中で聞いているような気がするのは、つまりそれほど標高のたかいところにきたせいなのだろうか。

「耳がいたいの? 弱むし」

「いや。ただボワーンとしてるだけさ」

青空文庫の作品カード