谷崎 潤一郎
続蘿洞先生
例の蘿洞先生が近頃奥さんを貰ったと云う噂がある。真偽は保證の限りでないが、しかし先生のことであるから、こっそり世間に知らせずに結婚し、何喰わぬ顔で澄ましていると云うようなこともないではなかろう。兎に角誰もほんとうの消息を知っている者はないのだが、今回も亦妙な因縁で、あの時のA雑誌記者がそれに関係しているのだと云う話。そして噂も右の記者から出たのである。
A雑誌記者は、いつぞや先生と蒟蒻問答をして以来スッカリ恐れ入ってしまい、あれきり訪ねたことはなかった。たゞ先生があれから間もなく大学の教授を罷めたのを新聞紙上で知ったゞけだった。はゝあ、教授を罷めて著述の方をやりたいと云っていたから、いよ/\引退したんだなと、記者はその時そう思ったけれども、その後どんな著述をしたか、何を研究しつゝあるか、多分専門の学術雑誌にでも発表されているのだろうぐらいに考えて、あまり問題にもしなかった。その間に数年を経、記者の方も今ではA雑誌社を退いてB新聞の演藝記事を担任していた。
で、去年の三月中の或る晩の八九時頃、以前のA雑誌記者ことB新聞記者が浅草公園へ行ったついでに、ちょうどその時分昭和劇場にかゝっていた夢遊斎一座の奇術を覗いたことがあった。記者は奇術が好きなのではないが、此の一座には往年の歌劇の残党が加入していて、その中に二三の顔馴染があったものだから、なつかしくなって立ち寄ったのである。そして楽屋を訪ねた帰りに舞台の袖から演技を見ていると、その時図らずも不思議なものに眼が止まった。オヤオヤ、此れはおかしいぞ、蘿洞先生がこんな所に来るのかしら?―――記者は最初は人違いであると思った。と云うのは、